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更新日2014. 7. 2 前画面へ戻るホームへ戻る
 西方寺前町のご説明               下記の文章は、葦 書房距lのご承認の下、掲載させて頂いています。



  浄土宗 宝樹山 西方寺
       五十九世ご住職 松岡さん
    西方寺前町のご紹介

(葦書房1983年初版「福岡町名散歩」井上精三著から転載)
(現、奈良屋町10・11街区の一部、古門戸町5・10街区の一部)

●明治の初期には大店(おおだな)が活躍

 明和(1764〜1772)の頃は、戸数47戸。間口132間余り(約240メートル)の南北にわたる縦町筋で、博多祇園山笠「土居流」を構成する一箇町。

 町名は、その名の通り西方寺の門前町を示す。西方寺は、町の(道路を挟んだ)東側に西に向かって立ち、山号を宝樹山という。

 筑後善導寺を開山した聖光上人の弟子、明源上人(北条一族の出身)が鎌倉時代に奈良屋番に建立したもので、室町時代に現在の所に移ったという。当時は海浜の地であったという。

 町ははじめ大工、左官、石工など職人が住んでいたが、隣町の古渓町魚問屋が繁盛してから、その影響で西方寺前町もにぎやかになり、魚屋(生魚)、網屋(材木)、油屋(質物)、米屋(線香)といった屋号の大店が明治初期に活躍した。

 福岡空襲で全町壊滅。西方寺も本堂、庫裡、薬師堂、数々の寺宝すべてが灰になった。戦後、境内は狭くなったが鉄筋で再建。町幅も戦前の倍近く広くなり、東西に通ずる横道も新設された。

 町界変更で東側の人家は奈良屋町に、西側は古門戸町に入って、西方寺前町の名は消えた。

 
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